ゆりログ

○1988年生まれ○夫、娘と3人暮らし。〜のんびりマイペースに資産形成しながら幸せな暮らしを目指す主婦ブログ〜看護師だけど無理な頑張りに気づいた人生の羅針盤改革中。

くもったメガネをかけない

昔の私の行動の源はいつも、自分を守るため負けたら〜とか、試験落ちたら〜とか

マイナスから考える癖がありました。

 

 

それは願望を叶えて今ある現実を変えようとしたい気持ちがあって、

でも叶わなかった場合、つらく悲しい思いをしたくないから。

 

 

それは防衛反応だから悪くない。

ですが、叶った時の喜びは一瞬で

そのあと、また今度は違う不安を探してました。

 

あれ、私が求めていたものって

喜びの種だったはず…

 

叶ったとたん、不安の種になっている!

なんてことに。

 

 

どうもそれって、おかしいなぁと。

 

きっと望みが叶ったら、嬉しくて仕方のない日常が待ってる!と

だから頑張ったはずが

叶ったら叶ったで

また不安な現実を、自ら探しだす。

 

 

それがどういうことかよく

自身と向き合ったのですが

 

たぶん自分の固定観念という

物事の偏った見方、癖がそうさせているのではないかと思いました。

 

それをくもったメガネと表現して

それが心と体の視野を狭くしているから

ということに気づいたのです。

 

 

それに気付けたのは今の旦那と会ってから。

 

 

旦那は自分の気持ちに関係なく

常にフラットに物事を見ている人です。

 

なにかあってもそれはそう、仕方ないと

自分の目の前に起こる事実を俯瞰して見る。

起こったことに対して一喜一憂しない。

私とは真逆の性格なのです。

 

 

例えば、過去に家を購入するときも

相談していたのは、もしも支払いが滞ったら、や、貯金できないのでは?みたいな

解決策のない、たらればばかりを述べては愚痴のようにぶつけてしまっていました。

 

 

その時、旦那はやってやれないことはないし大丈夫なのよと、私の不安を払い除けてくれました。

 

 

でも、それが根拠のない自信のように思えて怖くて、その時の私は踏みとどまってしまうのです。

 

今の私なら、ごめん〜そうだよね!と前を向けるのに(汗)

 

 

 

そういった恐怖心と不安も、くもったメガネのせいでした。

 

 

小さい時いつの間にか植え付けられた固定観念がありました。

 

なぜかというと、

私達の日常ってみんな小さなときから

集団生活をうまく世渡りしなければならなく

いつも真っ当な自分でいたかったから。

 

 

好かれたい、うまくやりたい、これがあれば幸せ、褒められたい、認められたい、安心したい

この他人軸が

自分の人生の優先順位になってしまって、おかしなことに。

 

そして

嫌われたくない、いじられたくない、ケンカしたくない、こうしなきゃ、あーしなきゃなど

本当の自分からどんどん遠ざかるように

なってる。

 

 

この、幸せではない現実を渡り歩くには

まっさらな自分だけではどうもコントロールできないところがあった。

 

特にどんくさい私には、くもったメガネが必要だった。

 

 

 

本当はね、

何にもなくても、まっさらな自分がいて

それだけで、充分なんだよね。

 

 

そんな自分でも愛して

周りにいてくれる人を愛して

今自分のいる日常を愛す。

 

それだけで充分。

今のあるままが一番なんだよって。

今の私なら思えます。

 

 

これからは

そのくもったメガネはいらない。

重く背負った鎧も降ろして

そのままでいいよって。

 

 

 

よく、頑張ってきたねって

自分を褒めて、愛してあげようと思います。


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